私はお城好きです。きっかけは、小学生の時に旅先で出会ったお城と、テレビの時代劇という些細な経験ですが、そこから私はお城の世界にドップリとのめり込み、現在までに、100を超えるお城への旅をしました。
どんな形や色をしているのか、なぜこんな形や色をしているのか、いつ建てたのか、どこに建てたのか、誰が建てたのか、なぜ建てたのか、どんな歴史的背景があるのか、現在はどうなっているのか…。
少年だった私は、好奇心から様々な知識を習得していきました。そしてお城という建築の域から情報はどんどん派生し、日本史、世界史、地理、国語、数学、社会、文化…。様々な分野の知識が身についていきました。
さらに絵を描くことが好きだった私は、無心でお城や武将の絵も描き、紙や粘土でお城や鎧兜もつくり、図工のスキルまでも向上しました。
当時の私は天才でした。おそらくこの時期に年代別の歴史オリンピックが開催されていたら、間違いなく金メダルをとれていたと思います。
しかし不思議なことに、これだけの知識を習得したのに、勉強をしたという感覚がまったくありません。努力や苦労と感じたこともありません。ただ好きなことをやっていた。それだけです。
大人達から「もっと歴史を勉強しなさい!」と言われて嫌々やらされていたら、努力や苦労と感じ、きっと知識が半分も習得できずに終わっていたでしょう。
私は幸せでした。
以前に和久先生が言っていました。アメリカの発明家のエジソンの名言"天才とは、1%のひらめきと99%の努力である"という言葉に対して、「これは間違っている。人間は99%も努力することなどできるはずはありません。ではなぜ99%の努力なしにエジソンは成功し偉大な発明家となれたのか。それは研究が面白かったからです。99%研究が好きだったからです」と。なるほど、良く分かります。好きなことをしている時には無我夢中にものすごい集中力が発揮されます。時間の経過も忘れてしまうほどです。この境地に勝るものはないでしょう。
自ら「やりたい!」と思う気持ちと、「やらされている」と思う気持ちとでは、成果には雲泥の差が生まれます。
その後は、思春期に少年から大人に変わる過程で、私のお城好きの熱も一旦は冷め、同じく好きだった芸術の道へと進みました。芸術の世界でも幼少期に得た無我夢中になる感覚を忘れることなく、絵を描く時、ものをつくる時、アイデアを生み出す時にも存分に発揮され、今なお集中できる快感や喜びを感じています。
子ども達にもこの集中する感覚を養ってもらいたいのです。
無我夢中に喜びを爆発させ、こんなにも楽しめるのか!と、そう思えるほどのダイナミックな時間。
部屋中に緊張感が走るほどに集中して制作に没頭する時間。
この感覚を味わったら、おそらくこれから先もこの境地を目指し求めていってくれると思います。これほど幸せなことはないでしょう。
子ども達は様々です。いろいろな子がいます。一人ひとりが魅力的な個性を持っています。
アトリエを卒業後、みんながそれぞれ素敵な世界に出会えますように。
そして花も実もある大人になってもらいたいと願っています。
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