わたしにとっての創造共育 わたしにとっての創造共育

『素敵な勘違い』広島五日市プレイルーム支部長 田上敬洋

振り返れば僕の人生は、大きな節目のときに和久先生に褒めていただき、背中を押していただいて"素敵な勘違い"をして、最終的には楽しく、すべてうまくいっているような気がしています。
僕はもともと人生になんの目標もなく、ただなんとなく「楽しく生きていけたらいいな」くらいにしか思っていなくて、大学を卒業してもフリーターをしていました。しかし、あまりにもダラダラと生活していたため親の逆鱗に触れ、ものすごい恐怖を感じ本気で就職先を探すことになりました。
その時、友人が「給料や休みなどの条件で選んだらすぐに辞めるよ。好きなことをした方がいいよ」とアドバイスをくれました。
しかし、その当時さして好きなことが無く、いろいろ考えた末、なぜか"子ども"というキーワードが頭に浮かびました。
それまで、子どもと関わったことがなにもないのに、なぜそう思ったのか不思議ですが、今思い返すと、「子どもと遊んでお金がもらえたら、こんないいことはない」という、不純だらけの動機だったように思います。
それからいろいろな奇跡やご縁があって、保育園に勤務できることになりました。その園は、当時珍しい株式会社が母体の認可保育園でした。ですから保育園だけでなくいろいろな教室があったのですが、『わくわく創造アトリエ』を新しく立ち上げるので、責任者になるように言われました。
僕は正直とても嫌でした。その当時現場でクラス担任として働いていたのですが、一番苦手で一番嫌いだったのが、制作活動だったのです。なぜなら自分にはセンスがないと心から思っていたからでした。先輩や同僚と比べて自分はアイデアが出ないし、不器用だし、そんな自分が子どもに教えるだなんてとんでもない、とても分不相応だと思っていました。ですから会社から言われた時の正直な感想は「最悪だ!こんな自分ができるわけない!」でした。
僕は意を決して、社長にやんわりお断りの話をしたところ「なにを考えているんだ!」と大変なお叱りを受け、会社からの提案はそのまま辞令になり、僕はあれよあれよという間にわくわく創造アトリエの免許取得の3泊4日の本部研修に行かされました。
その研修の内容は2割くらいが和久先生の講義で、残りの時間はとにかくモノづくりの実習なので、さらに落ち込みました。センスのない自分が何時間も何作品もつくらなければならないなんて、地獄です。僕はズンと沈みきった重い気持ちで参加しましたが、乗り気ではないまま作品をつくっていたところ、思いもかけないことが起こりました。
和久先生が、僕のつくった作品を褒めてくれたのです。その時は50人以上の参加者がいたのですが、みんなの前でも個人的にも、何度も何度も褒めてくださいました。
和久先生だけでなく、童具館のスタッフの方々全員が沢山褒めてくださいました。
めちゃくちゃ嬉しかったです。
もちろん参加者全員にもそうされていましたが、「実は自分にはセンスがあるんじゃないか!?」「そうか、自分は自分でいいんだ!」その時、強くそう感じました。
"素敵な勘違い"の始まりでした。
和久先生は講義の中で、「子どもは素晴らしい存在で、素晴らしい才能があるんだよ。でも、それをいろんなことを言ってつぶしているのは大人。だから頼むからなにも言わないで。だってあなた達は美術のことをわかってないでしょ?教えようなんて思わないで、褒めてあげていればいいんだよ」と言われていました。
「そうか!教えることはしなくていいんだ。褒めることならできるかも。大人の僕でも、褒められてこんなに嬉しかったのだから、子どもだって、きっとうれしいだろうな。これなら僕にもアトリエできるかも」これが研修を終えた僕の想いでした。
それから広島で初の『わくわく創造アトリエ』がオープンし、責任者兼講師としての人生が始まりました。
実は僕がアトリエ担当になったのには、別の大きな理由がありました。当時の僕は失敗ばかりして、正直保育園でする仕事が無くなっていました。社長としては田上のためにポストをわざわざつくってあげたという感じでした。(それを断るのだから、そりゃ怒られても当然ですよね)僕は仕事もできない、自信もない人間でした。
でも、「子ども達を褒めることならできる。子ども達には、周りから沢山褒められて自信を持った人生を歩んでほしい」と思い、一生懸命アトリエを頑張りました。すると、だんだん会員さんが増えて、事業部として予想以上の結果が出始めました。
するとその結果が評価され、保育園に副園長として戻ってくるように言われました。そして、その二年後に園長になり、それからその園から分園が2園できて、3園の園長とアトリエの責任者という、何足ものわらじを履くことになりました。気が付けば入社して19年が経っていました。本当にたくさんの経験をさせていただき、そして成長させていただきました。
しかし、正直、忙し過ぎました。40歳を過ぎて60歳までの残りの20年をどう過ごしていくかという今後の人生を考えた時、このままここで働くというイメージが湧かず、退職という選択をしました。
辞めるということは決めたものの、なにをするかはまったく決まっていませんでしたが、子どもに関わる仕事はしたいなと思っていたので、僕は和久先生にどこかの園を紹介してもらおうと思い、お話をする時間を取っていただきました。
2018年1月7日でした。
色いろなお話をさせていただいた後に和久先生は、「アトリエやりなよ。君ならできるよ」とおっしゃってくださいました。ここでもまた「和久先生が言われるのならできるだろう!」と僕は"素敵な勘違い"をし、またたくさんの良いご縁をいただいて、あれよあれよとことが進んでいき半年後の2018年7月には『わくわく創造アトリエ広島五日市プレイルーム』が誕生しました。
現在は、ストレスがまったくないという、現代社会では考えられないような生活の中、楽しくアトリエをやらせていただいています。
僕は和久先生から褒めていただいたことにより自分に自信が持て、自分にOKを出せるようになりました。"素敵な勘違い=根拠のない自信"はとても大切です。なぜならやったことがないことにチャレンジする時には、根拠がないからです。その自信は、信頼できる他者からの承認の言葉から生まれるのだと、今振り返ればそう思います。
"広島五日市プレイルーム=僕の人生"は、和久先生から褒めていただいたことから始まった"素敵な勘違い" が原点です。ですから、今後は、子ども達にこのいただいた御恩を返していきたいと思っています。

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