高崎プレイルーム/会員様のお便り
我が家とアトリエとの出会いは娘が4歳の頃。近所で見つけた教室には、全身絵の具まみれの子どもたちが楽しそうに写ったポスターが貼られていました。やり過ぎる感じがまるで娘のようで、ここなら気難しいうちの子でも受け止めてもらえるかもと体験を申し込みました。
この頃の娘は人見知りと警戒心が強く、自分でやりたいと思うこと以外に興味が無く、幼稚園の制作でも「やらない」と断ることもしばしば。なので、娘がアトリエをやりたがるか不安でしたが、幸いにも体験で料理を気に入り、入会することにしました。
入会後は同じクラスにいた同い年の女の子と仲良くなり、一緒に制作に励んでくれました。私もアトリエなら娘らしさを発揮して創作を楽しめるだろうと安心していました。
しかし、しばらくするとお友達と似たような作品や色使いになることが増えて来ました。先生からは「これも成長の一環ですよ」と声をかけていただき、私もそう理解しようと努めました。ですが、お友達とそっくりの作品を見るたび心の中はもやもやします。幼稚園の制作では、娘だけできあがる作品の雰囲気が違うことがあり、彼女らしさを感じながらも、内心落胆することがありました。そのため「娘に同調圧力を感じさせていたのでは」と考えてしまい、その度に子育てに自信がなくなり、不安になっては育児書を読み漁り、色々と試しては子どもの反応に一喜一憂する日々が続きました。
しかし、そんな私の不安は和久先生の絵画指導で一変することになりました。
大きな白いキャンバス、実物のパイナップルとミニトマトを見ながら絵を描くこと、大勢のお友達、和久先生、何もかもが娘にとって初体験です。しかも娘はお手本通りに何かを仕上げることは好きではありません。きっと途中でギブアップするだろうと思いました。しかしお迎えに行くと、待合室で初めて会うお友達と遊んでいる娘の姿がありました。絵も描いたと言います。これだけ初めて尽くしの中でできあがった作品なら、どんなものでも受けとめて誉めようと思いました。そして、いよいよ鑑賞の時間。
そこで目にした娘の作品は、お世辞抜きで「お見事」の一言でした。絵には、娘の興味、関心、こだわりなどが「見事」に表現されていたのです。つくづく、作品とは子の内面の表れだと感じさせられました。同時に今まで何ともったいないことをしていたのだと後悔さえしました。なぜなら、今までの作品たちは、いわば「子どもの心のアルバム」のようなもの。子どもの幼い頃の写真を見て、昔を懐かしんだり、成長を楽しむことはあっても、美醜や正確性を問う親なんていません。ましてや、他者との比較などもってのほかです。それなのに、どうして作品には出来栄えや創造性を求めていたのでしょうか。心のモヤが晴れた瞬間でした。
和久先生は、絵画指導で「絵の指導はしない」と仰っていました。同室の子ども達は各々自分のこだわりを貫き、誰一人として同じ絵を描いてはいませんでした。だからきっと私も娘の絵をありのままに見、受け入れられたのだと思います。
和久先生からポジティブな講評をいただいた娘は、非常に満足そうでした。帰り道、娘の顔はいつもより頼もしく見えました。それはきっと私の心から不安が消えたからでしょう。親にあれこれ言われながらも、彼女はしっかりと自分のペースで成長してくれていたのです。子育てに不慣れな親を補完するように。
そんな親の思いはつゆ知らず、娘は今も楽しくアトリエに通っています。できあがった作品について一生懸命教えてくれるのはいつまででしょう。彼女の説明をじっくり聞きながら、今はその世界観を楽しませてもらっています。
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