広島五日市プレイルーム/会員様のお便り
我が家の子どもがアトリエに通い始めたのは、長男の颯が小学校に入学する年でした。それまで颯は、自主性を重んじてくれる、子どものやりたいことに寄り添ってくれる素敵な幼稚園に通っていました。毎日子どもとしての時間を大満喫できる環境でした。
小学校の入学準備を少しずつ進める中で、「小学校に入学したら細かく分けられた時間の中で勉強が一日の大半を占める生活が始まるなぁ・・・」と親の私が颯の卒園を一番寂しく思っていました。幼稚園に代わる「時間」のプレゼントをしてあげたい、それがわくわく創造アトリエに通うきっかけでした。
以前から通っている幼稚園のお友達がいてくれたおかげで最初から新しい環境に躊躇せず、どんどん作品作りに入っていく姿が見られました。時間の終わりに迎えに行くと、頭の先からつま先まで絵の具だらけで「どうやって連れて帰ろう!」と思う日も多々ありました。そんな夢中な姿を目にする度にアトリエに通えて良かったと嬉しく思いました。こんな作品ができた!と誇らしそうだったり、もう少し時間が欲しかった・・と後ろ髪を惹かれるような表情だったり、アトリエ終了後の顔を見ると何も言葉を発しなくても颯の過ごした時間がよく分かりました。
弟の桧は、四つ離れているので数年遅れて通うことになりました。桧も幼稚園で、内遊びが大好きな颯とはまた違い、大半の時間を外で木登りや山の散策、砂遊びなどに時間を費やし、充実した時間を過ごしていました。外で遊ぶことが大好きで、アトリエに興味を示さないかなと思いましたが、颯の姿を見ていたからか、自分からアトリエに通いたいと言い出しました。それからは二人で通うことになり、自分より大きなお姉さんやお兄さんと一緒に作品に没頭するようになりました。仲間として仲良しにもなり、とても楽しそうに過ごしていました。そして、二人が創り出す世界でたった一つの作品はどれもこれもかけがえがなく、アトリエ終了後の時間は私の楽しみとなりました。
颯が小学校六年生になると、卒業を区切りとし、アトリエを辞めるかどうかの話が持ち上がりました。その時桧は、「一人でも通いたい」と言い、当の本人の颯も「まだ続けたい」と言い、結局現在中学三年生になりますが、今日までお世話になっています。
それぞれ年齢によって以前にしたことがある活動でも全く違った作品を見せてくれるアトリエの活動はどこが終わりなのか分からなく、年齢ではなく、自分自身が「これで終了」と思った時なのかなと思っています。
アトリエに通う年月は気がつけばとても長いものとなりました。こうして改めて回想してみると、通うきっかけになった「楽しい時間をプレゼントしてあげたい」という思いは、逆に私自身が「楽しい時間をプレゼントしてもらった」という感謝の気持ちに変わっていることに気がつきました。寄り添ってくださった先生方にはもちろん、当の本人たちにもありがとうと伝えたいです。
いつかアトリエを卒業する日が来ます。大人になってから、アトリエで過ごした「楽しかったー!」が目に見えない物となって二人を支えてくれると思います。これからも二人の時間を見守っていきたいと思います。
<高崎プレイルーム 過去のお便り>の関連ページです
- 和久洋三のわくわく創造アトリエに関するご質問・お問合せは
- 下のボタンをクリックすると、全国の「和久洋三のわくわく創造アトリエ」一覧が表示されます。ささいなご質問から詳しいご相談まで、お気軽にお問合せください。