金沢プレイルーム/会員様のお便り
娘は4歳過ぎ頃から、保育園の後まっすぐ家に帰るのを嫌がるようになり、「今日は今からどこに行く?」と毎日のように口にするようになりました。時間に余裕があるときは、公園、図書館などに連れて行きましたが、公園では暗くなるまで帰ろうとせず、図書館に行けば、閉館になるまでいる始末。家に帰るように促すと泣いて怒りました。家に着いても車からなかなか降りようとせず、やっと家に入って、やれやれと思いきや、「お母さん一緒に遊ぼう!」とまだまだやる気満々の姿。それも本読みやお絵描きではなく、鬼ごっこ、相撲などアクロバットな遊びを要求し、時計を見ながら「はぁ」とため息をつく私。体力を持て余しているのだろうか。母親と二人きりの時間が長過ぎるのか。子供の欲求にうまく対応できないことに疲れ、自己嫌悪を感じるようになりました。
そんな折、偶然、『わくわく創造アトリエ』の作品展が最寄りの美術館で開催されるチラシを目にし、休日の散策も兼ねて家族で出かけました。軽い気持ちで立ち寄ったのですが、会場で目にしたのは、今まで出会ったことがない作品の数々。型にとらわれない自由さ、大胆な色使いと色彩の鮮やかさに引き込まれました。のびのびとした雰囲気とともに力強さが感じられ、これこそ子供の姿、創造は想像であり自由でいいのだと思った瞬間でもありました。
我が子のエネルギーをこの創作活動に向けてみたらと思い、4歳半からアトリエに通い始めました。娘は遊び場が増えたという感覚で、創作活動よりもクラスのお友達と一緒に過ごせることを楽しんでいました。毎回アトリエに入る際は、遠慮がちで表情も堅いのですが、迎えに行くと、疲れたと言いながらも満足そうな笑みが見られました。そのため、お友達がお休みで一人の活動になった時は、しょんぼりして泣きそうになることもありました。
親の私は、作品を通していろんな発見があります。大人が思いつかない表現方法や色使いがおもしろいのです。椅子作りの際、娘の作品にはたくさんの飾りが付けられており、「こんな楽しい椅子があったらいいな」と素直に思いました。作品の中に子供たち各々の主張が感じられ、アトリエではお手本はなく、皆と一緒でなければならないという縛りもないからなのではと思いました。成長過程においてその年齢にしか表現できないものがあり、親はその瞬間の多くを見逃しているのかもしれないとも感じるようになりました。
私が一番興味深いのは色彩です。どの作品においても色のコントラストが美しく奥深さを感じます。色の複雑な重なりが重厚感を生み出し、物語が始まるかのように様々な連想を与えてくれます。多くの色を使っていない場合でも存在感があるのも不思議です。形と色彩の融合が生み出す世界の奥深さを知りました。
娘は小学生になると、集団生活の中での自分の位置や評価を少しずつ気にするようになり、本人の中でもいろんな葛藤がある様子でやや緊張気味の毎日を過ごしています。本人曰く、アトリエは「自由にできるところがいい」とのこと。「ボール遊び、クッキング、積み木のお店屋さんごっこはまたやりたい」と語っています。今現在、娘にとってアトリエは、遊び場であると同時に日常の緊張感から解放される場所となっているような気がします。正解・不正解、できる・できないを気にすることなく、自己表現ができる場所なのかもしれません。現在は一人での活動となり、少し寂しさがあるようですが、ありのままの自分で過ごせる時間が気に入っている様子です。
清水先生には、毎回活動中の我が子の姿をお話いただき、肯定的な言葉をかけてくださり、感謝しています。なかなか我が子の長所を見ようとすることができない私。アトリエを通して、子供との向きあい方を勉強させてもらっています。入会当初は、創作活動に熱中する創造力豊かな子に成長してほしいという淡い期待も抱いていた私ですが、単なる親バカでしかなかったと今は気恥ずかしい思いです。自由な思考、型にとらわれない表現力を磨くべきなのは、私達大人なのかもしれません。創作活動は、自分と向き合う時間であり、一心不乱に取り組んでいる子供たちの作品と完成後の達成感はその模索の結果でしょう。忙しいと言いながらスマホ片手に時間を浪費している大人。なんだかおかしい。理屈なしに自分と向き合う時間は、思いもかけない喜びや充実感を与えてくれるのかもしれません。今後もアトリエと通して親子共々学び、成長できることを願っています。
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