神戸岡本プレイルーム/会員様のお便り
娘が二歳十一か月からアトリエに通い始めて、そろそろ十か月になります。
初日、講師の先生が絵本を読みはじめられた時、一番後ろの椅子に座っていた娘が自ら、前方へ行こうとする後ろ姿を今でも忘れることができません。その後、紙粘土を伸ばす活動に入り、「親子クラスはお母さんも一緒に活動してください」と、講師の先生に声をかけられ、正直、私はこういう時はどうしたら良いものかと、躊躇っていました。娘は「(何でも)じぶんで!」の真最中であり、彼女が初めて経験する紙粘土に少しでも触れようとすると、私の手を何度も触れさせまいと押しやるのです。ころころと粘土を長く伸ばす作業は、二歳のこどもにとって簡単な作業ではありません。真剣なまなざしで、粘土を左右に引っ張っては、少しでも長くしようとする娘。その様子を見て私自身の躊躇いが可笑しくなりました。私が手を出すとすぐに長くできるかもしれない。でも、どうやったら長くできるのだろうと粘土と格闘している娘。その過程に立ち会えるかけがえのない時間といったら……
球や円柱をテーマに、「転がす」という活動も何度か経験しました。傾斜のある板に大量のビーズを流すザザザーっという音。こども達は目を輝かせて、傾斜の高い方に集まります。でも娘は転がすことに興味が向かいません。傾斜の下でビーズの海の中に座り込み、ビーズの上に積木を左右に滑らせ続けています。「ビーズを転がしてきたら?」と言ってもどこ吹く風。見守っていると「ママ、(わたし)アイロンかけているの」と言い、はっとする思いでした。講師の先生が「いいんですよ。みんなと違うあそびをしている中から新しいあそびが生まれます。ビーズの上を滑らせるタライ船も違う遊びをしているお子さんから生まれました」と。
ある時、複数のパーツで車を模した形を組み立て「転がす」活動をしはじめました。その時も転がす活動には目もくれず、何やら真剣に取り組み「できた!」と言うと、傾斜の一番高いところに立ち「あおしんごうですよ。みなさんどんどん、とおってくださあい!」と、青い目玉が三つ付いた信号機を、満面の笑みで立てていたのです。
一方、「絵画」活動に取り組んだ時は、丸い野菜や果物を描きました。下絵で描いた丸い野菜を無視して、絵の具で上から下へ上から下へと塗り重ね続け、下絵の原型などすっかり姿を消した頃(親としてはがっかり?)「できた!これは『かみなりとはたけ』。かみなりがピカッとなって、あめがザーザーふって、はたけがぐちゃぐちゃになって、はたけからやさいはぜんぶながれていったよ」と。大人の目から見ると、一見めちゃくちゃな事をしているように見えても、実際は三歳の子どもなりにイメージを膨らませ、作業を組み合わせ、作品を仕上げるプロセスを進め、ものがたりを心の中で語っているのかもしれません。
娘はどの作品にも必ず自分で作品名を付けるので、「彼女なりにイメージするものを言語化し、作業に落とし込むことが比較的上手く成立しているように見えます」と、講師の先生に言われたことがあります。実際のところは、私にはわかりません。わからなくて良いと思っています。でも、もし、娘が自分の持つイメージを彼女なりに好きなように表現できているとしたら、それはとてつもない幸せなことではないかと思っています。
柏木直子先生、木村菜津子先生、娘の個性を受け止めてくださり、心より感謝しています。
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